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<<知財判決紹介 「タイヤ」事件>>


平成28年(行ケ)第10079号 
拒絶査定不服審判審決取消訴訟

(関連条文:特許法第29条第2項)

【1】事件の概要

 本事件は、タイヤの発明に関し、不服2014-21362号事件について平成28年2月15日に特許庁が行った審決が取消された事件である。
 より詳細には、発明の名称「タイヤ」とする発明について特許出願(特願2013−85881号)の審査がなされ拒絶査定が出された。それに対し出願人が拒絶査定不服審判を請求したところ、同審判において甲1号証(実願平2−101134号、以下、引用例1ともいう)に開示された発明(引用発明)および複数の文献に記載された技術的事項に基づいて、当業者が容易に発明をすることができたものであるから、特許法29条第2項の規定に特許をうけることができないと特許庁が審決した。
 これに対し、審決取消訴訟では、本願発明の課題および技術的思想が、引用発明と相違しており、引用例1には「表面ゴム層のゴム弾性率を内部ゴム層のゴム弾性率より小さい所定比の範囲として、使用初期において、接地面積を確保するという本願発明の技術的思想は開示されていないのであるから、引用発明から本願発明を想到することは、格別困難なことでないとはいえない。」として、上記審決を取消した。


  [事件の経緯]

2013/04/16 :特許願

2013/12/06 :出願審査請求書

2014/01/29 :早期審査に関する報告書

2014/02/04 :拒絶理由通知書

2014/04/03 :意見書

2014/04/03 :手続補正書

2014/07/22 :拒絶査定

2014/10/10 :面接記録

2014/10/22 :拒絶査定不服審判請求、手続補正書

2014/12/26 :前置報告書

2015/08/03 :拒絶理由通知書

2015/10/01 :面接記録

2015/10/05 :意見書

2015/10/05 :手続補正書

2015/10/26 :拒絶理由通知書

2015/12/22 :意見書

2015/12/22 :手続補正書

2016/02/15 :拒絶査定審決送達

2016/03/31 :審決取消訴訟提起

2016/11/16 :判決言渡し

2016/12/20 :拒絶理由通知

2017/01/25 :意見書

2017/01/25 :手続補正書

 

【2】本願発明及び引用発明

  [
本願発明]

【請求項1】
 タイヤのトレッドに,該トレッドの少なくとも接地面を形成する表面ゴム層と,前記表面ゴム層のタイヤ径方向内側に隣接する内部ゴム層とを有し,

前記比Ms/Miは0.01以上1.0未満であり,
前記表面ゴム層の厚さは0.01mm以上1.0mm以下であり,
前記トレッドは,ベース部のタイヤ径方向外側に隣接して,該トレッドの少なくとも接地面を形成するキャップ部を配置した積層構造を有し,前記キャップ部が前記表面ゴム層および前記内部ゴム層を含み,
アンチロックブレーキシステム(ABS)を搭載した車両に装着して使用し,
前記表面ゴム層は,前記内部ゴム層のタイヤ径方向外側で前記内部ゴム層にのみ隣接し,
前記表面ゴム層は,非発泡ゴムから成り,かつ,前記内部ゴム層は,発泡ゴムから成り,
前記表面ゴム層のゴム弾性率Msが前記内部ゴム層のゴム弾性率Miに比し低いことを特徴とするタイヤ。

  [引用発明]

【実用新案登録請求の範囲】
 トレッドの本体層の表面に、タイヤ製品時での厚みが0.5mm以下、ピコ摩耗指数が50以下である皮むき用の表面外皮層が形成されたことを特徴とするタイヤのトレッド構造。
 *引用例1の表1、表2には、表面外皮層のHs=46、内側本体層Hs=60、表面外皮層ピコ摩耗指数=43、内側本体層ピコ摩耗指数=80であることが記載されている。
 *引用例1第4頁の第2行目〜 本体層について発泡ゴムを用いても差し支えないとの記載がある(一方、表面外皮層については発泡ゴムであってもよいことの言及はない)

[


【3】相違点1

「表面ゴム層」及び「内部ゴム層」の組成及び物性について本願発明と引用発明は以下の点で相違していると認定された(判決文P4中段、P31上段)。

本願発明

引用発明

「前記比Ms/Miは0.01以上1.0未満であり,」

前記表面ゴム層は,非発泡ゴムから成り,かつ,前記内部ゴム層は,発泡ゴムから成り,

前記表面ゴム層のゴム弾性率Msが前記内部ゴム層のゴム弾性率Miに比し低い」

「前記表面外皮層のゴムは、ゴムBを使用し、Hs(−5℃)が46、ピコ摩耗指数が43であり、前記本体層のゴムは、ゴムAを使用し、Hs(−5℃)が60、ピコ摩耗指数が80であ」る。

【4】発明の課題と効果

本願発明

引用発明

(課題)走行初期から十分な氷上性能を発揮すること

従来、発泡ゴムタイヤを金型で加硫成形を行う際、トレッド表面が低発泡または無発泡になるため、気泡の存在により期待される水膜除去能がタイヤの使用開始時に発揮されないという課題があった。

しかし、さらなる検討の結果、所期の氷上性能が十分でないのは、トレッド表面が低発泡等になることで、トレッド表面近傍が高弾性率となって十分な接地面積を確保できないことにあることがわかった。

(本願段落0005、0006)。

(課題)皮むき走行の距離を短くし速やかにトレッド表面にて所定の性能を発揮させること

従来、加硫直後のタイヤ表面に形成されたベントスピューと離型剤からなる被膜が氷雪路での有効な接地面積の確保の妨げとなっていた。また路面との接触面積を増加させるためトレッド表面はある程度摩耗して粗さがあることが必要であった。以上のことから、使用開始時の皮むき走行が必要であった。

(引用例1,P1後段〜P2中段)

(効果)

・氷上性能が、タイヤの使用開始時から安定して優れた、トレッドに発泡ゴムを適用したタイヤを提供することができる(本願段落0015)。

・表面ゴム層は、徐々に摩耗が進行するものであり、内部ゴム層が露出するまでの間の氷上性能を担う(本願段落0018)。

・表面ゴム層のゴム弾性率Ms<内部ゴム層のゴム弾性率Miにより、氷上での接地面が確保される(本願段落0019)。

・表面ゴム層が配置されるため、加硫成形時に発泡体ゴムである内部ゴム層に金型の熱が伝わり難くなり、表面の気泡が潰れにくい(本願段落0022)。

 

(効果)

・走行により容易に除去し得る皮むき用の表面外皮層を予めトレッド本体層表面に形成することで、速やかに皮むきがなされ、早期に氷雪路での性能を発揮するとともに、早期にトレッド表面が摩耗して粗さを現出し、路面との接触面積が増大する(引用例1,P4[作用])。

・ピコ摩耗指数は表面外皮層のゴムの柔らかさを示す値であるが、これが50を超えると耐摩耗性があり、皮むきが速やかにできないため、50以下が好ましい(引用例1P3中段)。

・実施例では、表面外皮層のピコ摩耗指数およびHs(ショア硬度)は、内側本体層のピコ摩耗指数およびHs(ショア硬度)よりも低い(引用例1,第1表)。

(実施例の評価)

使用開始時において、氷上性能は、従来タイヤ100に対し、発明例タイヤは、103、110等であった(本願表1)。

(実施例の評価)

実施例は、短い距離で皮むきがなされていることが確認された。また皮むき走行なしの比較例の氷上制動100に対し、実施例は103であった(引用例1,第2表)

 

[コメント]

 発明の課題および技術的思想を充分に把握し、明細書にそれを充分に記載することが重要であるという基本的な事項を、本事件から改めて考えさせられた。発明を把握する上で、課題および技術的思想を理解するということが重要であることは言うまでもない。ある発明と他の発明との課題および技術的思想が異なれば、これらは発明として異なるという考えの下、特許法第1条に立ち戻れば、本事件の裁判所の判断を理解することができる。
 一方で、発明が技術的思想であるからこそ、技術的観点から発明の構成に立ち戻り、当該構成から発明を把握するということもまた通常に行われるアプローチである。私見であるが、上記観点からみれば、本事件における特許庁の判断が間違っているともいえない側面があるのではないだろうか。以下に相違点1について検討する。

本願発明における相違点1

左記に対応する引用例1の記載

前記比Ms/Miは0.01以上1.0未満であり,

実施例において表面外皮層のHs/内側本体層Hsが46/60(即ち0.01以上1.0未満の範囲)であることが記載されている

前記表面ゴム層は,非発泡ゴムから成り,かつ,前記内部ゴム層は,発泡ゴムから成り,

引用例1において本体層は発泡ゴムを用いても差し支えないとの記載があり、一方、表面外皮層についてはそのような言及がないことから、引用発明には、表面外皮層が非発泡ゴムから成り、本体層は、発泡ゴムから成るという組み合わせを含んでいる

前記表面ゴム層のゴム弾性率Msが前記内部ゴム層のゴム弾性率Miに比し低い

実施例において示される表面外皮層のHsは、本体層のHsに比し低い

 以上のとおり、本願発明の構成に関する相違点1は、引用例1に実質的に開示されているに等しいともいえるように思われる。だとすれば、本願発明と引用発明とは課題や技術的思想が異なるとはいえ、引用発明から本願発明を想到することは、格別困難なことでないともいえるのではないだろうか。
 また、引用例1の実施例第2表には、実施例は、皮むき走行なしの時点(つまり使用開示時)において、氷上制動テスト結果が比較例を上回ることがデータで示されており、引用発明に関しても使用開示初期から氷上性能が向上していることは被告(特許庁)も指摘するところである。
 これに対し、判決文では「引用例1に記載された課題を踏まえると,引用発明は,あくまで早く摩耗する皮むき用の表面外皮層を設けて,ベントスピューと離型剤を表面外皮層とともに除去することにより,本来のトレッド表面を速やかに出現させるものであり,引用例1は,走行開始から表面外皮層が除去されるまでの間の氷上性能について何ら開示するものではない。よって,引用例1に接した当業者が,氷上性能の初期性能が得られることを認識するものとは認められない。」(下線は筆者による追加)と示されており、実施例データの咀嚼が充分であったのか、やや疑問が残る。
 弁理士として、より深く発明を理解するというトレーニングの為にも、本事件は非常に興味深い事件であった。

弁理士 栗田由貴子

                                                            以上